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© 2015 Archimede s.r.l.

11/25に日本で公開される映画『五日物語―3つの王国と3人の女―』を試写会にて一足お先に見てまいりました。
見た感想と映画の見どころについて、ご案内させて頂きます。

トピック

  1. 映画「五日物語」について
  2. 見どころ:衣装の美しさについて
  3. コラム「童話の構造、語り継がれる物語」

■映画『五日物語―3つの王国と3人の女―』の魅力について

映画『五日物語―3つの王国と3人の女―』(以下、映画『五日物語』)の現代は『TALE OF TALES』。
直訳すると「物語の中の物語」。
グリム兄妹にも多大な影響を与えた、17世紀初頭に生み出された世界最初のおとぎ話「ペンタメローネ[五日物語]」に描かれていたのは、400年の時を経た現代と変わる事のない、残酷なまでの女の”性(サガ)”。
この「ペンタメローネ[五日物語]」の物語の数々から、3つのストーリーを1つのテーマに結びつけて構成されている
サブタイトルにある「3つの王国と3人の女」の通り、この物語には3つの王国が出て来る。
隣国している3つの王国に起こる、悲劇と喜劇。
ある王国では、女王が子を持つことを熱望し、ある国では老婆が若さと美を羨望し、そして、もう一つの王国では、王女がまだ見ぬ世界に憧れを抱いていた…。
女王であれば、王女であれ、老婆であれ彼女たちは心に熱量のある”欲望”を持っている。
その”欲望”が彼女達を行動させ、そして彼女たちを含む周囲の人々の運命を大きく変えてしまう。
本来であれば守られるべき”立ち位置”であるはずの3人の女王、王女、老婆。
物語が進んでいくと、彼女たちはその”欲望”に付き従うがゆえにときに恐ろしい存在へ、ときに哀れな存在にと変容していく。
彼女たちは自らの”欲望”のためなら自らの命すら賭してしまうほどの強さを持っている。

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目を背けたくなるようなシーンであっても、彼女たちの純粋なまでの”欲望”を目の当たりにすれば不思議と理解でき、更には感情移入さえしてしまう。
彼女たちの”欲望”とは一体何なのか。なぜそのような”欲望”を頂くに至ったのか。その”欲望”の代償はどのような形で氏は割れたのか。是非、映画館で是非確かめて欲しい。

それらはけして共感のできない”欲望”ではない。
彼女たちの苦悩と羨望、そして”欲望”に対して忠実に付き従う様子は21世紀の今でもよく理解できる。
子を望む女王の苦悩、外の世界に期待と憧れを抱く王女、若さと美を羨望する老婆。
観る方はどの「女」の”欲望”に共感するのだろうか。

■欲望、羨望、執念という3つのテーマ

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映画『五日物語』の海外公開時のキーアートの中の「desire envy obsession」の言葉がある。
これらは映画『五日物語』を読み解くのに重要なキーワードのように思う。
3人の女は今まで居た生活を捨ててでも、叶えたい希望がある。思いがある。
そのためには少なくはない”代償”を支払う覚悟をしている。
覚悟を決めた人間というのは得てして美しくもあるが、危うくもある。

■映画『五日物語』のエスキース

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本作の監督マッテオ・ガローネはイタリア出身で「ゴモラ」「リアリティー」でカンヌ国際映画祭審査員特別グランプリを二度受賞している。
元画家で、映画はその感性を活かして映画を制作している、ゴヤの版画集や古典ホラー映画からインスピレーションを得ている。
メキシコ出身のギレルモ・デル・トロ監督を彷彿とさせる美麗でダークな映像構成。
本作では壮麗な中に不気味さを漂わせる映像と、大人のファンタジーとも言える皮肉に満ちたストーリーを描ききっている。
1つめの話に出てくる化物の造形や映像表現はレトロで味わい深く、特撮の巨匠、レイ・ハリーハウゼンを思い出させる。
陰影の強い、黒青がかった暗いイメージのあるゴヤの絵。
暗がりからいつ恐ろしい化け物が出てきてもおかしくない。
今に決定的に凄惨な場面が展開されるのではないだろうか、と緊張するあの感じは2つめの話とよく似ている。
人は何故か恐ろしいものに惹かれてしまう。
ホラー漫画を読んでいて、次に怖い場面が来るとわかっているのに捲る手を止められないのと似ている。
そして、嘘はやがてばれてしまうものなのに”欲望”が正常な心をおかしくさせてしまう。
3つめの話は「因幡の白兎」を思い出してしまう。騙されたサメが兎の皮を剥いでしまうあの昔話。
皮を剥がされた兎が傷ついて蹲っていると通りがかった神に助けてもらうというエピソードが映画の中でどのように表現されているかは是非映画館で確かめて欲しい。

【鮮麗な印象を放つ、美麗な衣装の数々】

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何より、映画『五日物語』においてまず語らなければならないのは美麗な衣装の数々だろう。
お伽噺には王や王妃、王女などのキャラクターが欠かせない。
彼女たちは衣装でそれぞれの性格や役割を表している。
とりわけ惹きつけられるのが、女王が身につけているこの衣装だ。

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© Greta de Lazzaris

本作を象徴しているかのような、燃えるような血の赤と執念を感じさせる黒の配色。
強い意志と、それを実行に移す力強さ、目的を達成するためには手段の選ばない冷酷さも感じさせる。

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対比するかのように、薄い水色の少女らしいデザインのドレスを着る王女。
彼女の髪は乙女らしく結い上げられ、可憐に揺れる。

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外界とは遮断された城の中ですくすくと育った王女はいつしか、素敵な王子様と結婚することを思い描く。
けれども父である王のもとを離れなければならない恐れ、それを上回る未来への期待が淡い水色で表現されているように思う。
王女は望みどおり、外界へ出ることができるのだが大きな代償を払うことになる。
王女が知っているのはお城の中だけと、頼れるのは自分を甘やかしてくれる王の存在だけ。
あらゆる試練と困難をくぐり抜けた彼女は様相が変貌し、同じ衣装を着ているのにも関わらず夢見る可愛いお姫様ではなくなったように見える。
彼女は代償を支払った末に”世界”を知る。知ったときの彼女の表情に是非、着目して欲しい。

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紹介した2つの衣装に比べ、汚くみすぼらしい衣装である。
これは染色業を営む2人の老婆の日常着である。
裾は破け、スカートは染料で染まり、元の色が何かわかないまでになっている。
貧しさと、諦念が見えるデザインである。
人からどう見られようともしようがない、生きることで精一杯の日常着。

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© Greta de Lazzaris

そんな彼女達が、とある出来事から豪奢なドレスを身にまとう日が来る。
執念が起こした奇跡、線香花火が消える前の一瞬の激しい煌めきのような”欲望”の成就。
ストーリー上の重要な部分を含むため、写真画像を載せることができないのが残念だが、是非スクリーンで楽しまれて欲しい。

■衣装に関する雑感

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© Greta de Lazzaris
全体的に中世ヨーロッパの貴族が着ていた衣装に近いように思う。
女性はX型のシルエットではなく、ベル型やバッスル風、トレーンのスカート、高さのある襟など優雅さよりも権威や象徴といったモチーフは16世紀イタリア貴族やスペインの宮廷を彷彿とさせる。
物々しいほどに豪華な装飾と堅さを感じさせるシルエットは正に中世を代表するデザインといえる。
コルセットでひたすら固く細く締めたウエストラインは美から逸脱して無機物のような印象を受ける。
ロココを学んでいた私からすると、非常に機械的でSFっぽく見えてしまうのは軍服的な要素があるからか、タイトレーシングのせいなのか。
何れにせよ、豪華絢爛な衣装の数々は本作の最大の見所と言って差し支えないだろう。

【コラム「童話の構造、語り継がれる物語】

童話といえば、グリム童話、アンデルセン童話など子供の頃から数え切れないほどの物語を耳にしてきた。民話や神話なども含めると新聞や小説、web上でほぼ毎日のように物語のかけらに触れているように思う。登場人物が身近な存在であり、寓話的なラストがある。
子供のころは絵本に夢中だった。子供向けに描かれた童話はかみ砕いた表現にしてはあるものの、見慣れない動物や習慣、しきたりなどが出てきて違和感のようなものを感じていた。日本でお姫様といえば「かぐや姫」や「一寸法師」に出てくる着物姿の長い髪の女性だし、豪華なごちそうや王様やお城は出てこなかった。やがて、遠い国の今からはるか昔の話をしているのだと気が付いた。
童話の中ではいとも簡単に人が死ぬ。「白雪姫」や「シンデレラ」は実母が死ぬところから話が始まる。そして次に生まれてくるのは王子や王女である。王や王妃の死をもって、次に命が紡がれていく。映画『五日物語』にもその構造が見られる。残された人々は新しい命を大切に育て、成長していく過程が物語の中で描かれている。祝福されるべき誕生が死を伴うことで、その者の運命を複雑なものへと変容させられることが童話の導入部に多く見られるのではないだろうか。こういった「象徴的な死と生」が童話をひきつけてやまない魅力なのではないだろうか。

童話の類型には成人になるための儀式、つまりイニシエーションとしての『五日物語』に登場する双子もある「怪物」を倒すことで子供から大人へなったという見方ができる。「ヘンゼルとグレーテル」も双子であり、両親から必要とされていなかった「子供」であり、森の中の「仮の家」に滞在することで「子供」から「大人」へと変容し、魔女を殺すことで「儀式」をやり遂げる。「白雪姫」も継母から憎まれ城を追われ、小人の住む森の中の家で映画『千と千尋の神隠し』でも「銭婆」が住む森の中の家で千尋は今までの自分に決別し、成し遂げるべきことを受け入れ覚悟する。

子供のころより身近に存在する童話。難しく考える必要はないけれど、何故この物語が何百年も語り継がれてきたのか。それはどこにでもある話ではないから。何かを失って、何かを得て、欠けていたものを取り戻し、成長する物語。困難が待ち構えている未来であっても、立ち向かわなければ物語は始まらない。主人公たちは、辛い運命に際し、悩みながらも歩みを止めない。その強い精神力は主人公だから持ちうるものではない。それは彼らが自分の人生の主人公だからだ。歩まねば、そこで終わってしまう。人間は約100年続く物語を、一人で完成させなければならない。けれども、それはたった一人で紡ぐ物語ではない。良き支援者たちの力で困難を解決し、時には良き魔法使いに人生を変えるような奇跡を味わうことができるかもしれない。世界中で読まれてきた童話はしっかりと役割を与えられたキャラクターたちが生き生きと動いている。困難にぶつかった人には童話を手に取ってほしい。困難にさしあたり、自らを奮い立たせたい、という人には映画『五日物語』を是非お勧めしたい。

<結びの文>
映画『五日物語』の魅力を作品の資料やキービジュアルなども交えてご紹介させて頂きました。
配給されている東北新社の北丸さんのご協力あってのものです。
本当にありがとうございました。

是非映画館で御覧ください。

映画「五日物語—3つの王国と3人の女—」

公開日:11/25(金)
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